これは書に限ったことではなく、教育や指導と名の付くもの全てに言えることだと思っています。
ある意味で究極的なことですが、
どれほど言葉や動画・直接指導でお伝えしても、
伝えられる技術的なコトは半分しか伝えられない。
ひょっとしたら半分も無いのかもしれませんが、
これは私のブログでも書いた
という記事に通じてくる事です。
教育や指導の領域が「知」であるとするならば、
「識」という自分の中での気付きや発見こそが、
残りの半分の技術になる、ということです。
私はブログや動画・書道教室でもそういったスタンスで行うようにしています。
技術の半分が気付きや「識」になるという前提で、
そういったものを促す事ができるような言葉や動画・指導をするように、できるようにと心がけています。
これは理想なのかもしれませんが、
でもそういった気持ちで行うこともとても大事だと思ってやっています。
そういった観点で書に限らずにいろんな事への学びのスタンスというものを考えてみるのも良いと思います。
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