【書を志す方へ】あなたは広芸舟双楫(こうげいしゅうそうしゅう)を読んだことがありますか?

著者近況

書が上手くなりたければ必ず読むべき本

今回は結構マニアックな書の話です。

私は別に書道の大学を出ているとかではないのですが、単純に字・書が上手くなりたくて先人の英知をダウンロードしてから練習した方が一番効率が良いはず…!という考えでいろんな書道論を読むようにしています。

それが結果的に「田畑先生って学者ですよね。」とたまに言われますが、私はそんなつもりはなくって、ただ書の本質を追究する最短ルートが本を読むということなだけなのです。

というわけでいろんな本を読み漁っている中でこの広芸舟双楫(こうげいしゅうそうしゅう)という本をこちらの古本屋さんで発見して入手して読んでみました。

というのもこの本、いろんな書を語る本の中に引用としてよく出てくる本なのです。

結論から先に言うと「書を本当の意味で上手くなりたければ必ず読むべき本」だと思いました。

日本の書道の教科書に載って無いことが多い…?

この本は中国の清(しん)の時代、1600年代~1900年代、日本は江戸時代の頃に著された書道論です。

康有為(こうゆうい)という中国の方が書いております。

清の時代も書というのはもちろん研究されているのですが、学問において根拠を大切にしよう、という「考証学」というのが興った時代でもあります。

書道についても長い時代を経て受け継がれてきているけれど、根拠を整理してこうした方が良いのでは?という書の在り方や学び方をガチ勢目線で論じたものです。

当然中国語なので、高畑常信さんという素晴らしい方が日本語に翻訳していただき、木耳社から出版されています。(現在でも古本屋やネットで購入可能。)

この本の内容をざっくり一言で言いますと、

【法帖はコピー劣化してるから、三国六朝以前の石碑の拓本を重視して書の道を追究すべし。】

ということです。

紙ベースでは1,000年以上は保存はできない、というのは聞いたことがありますが、それを継承していくために現代のようなデジタル技術は昔は無いわけです。

それを伝えていくために、写し取ったり、拓本にしたりを繰り返していくうちに、元の形からどんどん離れていってしまう…つまりコピー劣化してしまっている。

だから、比較的そのままの元の形が残っている三国六朝以前の拓本をやらなきゃ、書の人生徒労に終わるよ。

というような内容です。

この他にも筆の持ち方である執筆法ですが、こちらの記事でも書いています、

撥鐙法(はっとうほう)

という言葉も当たり前のように出てきますし、この本を読んで撥鐙法という執筆法の本当の意味も理解することができました。私がそうなんじゃないのかな?という事を裏付けてくれたものでもあります。

私は高校の選択科目が書道であってその教科書だったり、また習字教室・書道教室に通い書を結構長いこと続けていますが、この本に書かれている結構なことが教科書に無かったり知らないことだらけです。

清の時代の中国の書論が教科書に載っていないのは仕方ないのかもしれません。戦争もしていましたし、明治以降にこのような書論の存在もうやむやになっていたのかもしれません。

ですが中国の正鋒を伝えるこの本を読む読まないではこれほどまでに差が出てしまうかもと恐ろしくも感じます。

もちろん私は書道大学を出ていないので、書道専門課程では当然のように学べる内容なのかもしれません。

しかし、そうでない一般人?な書道家がこういった事を知るためには本を読むしかないと思います。

「書はつまらないもの」とこの著者は言っておりますが、そうはいっても執筆法は一番肝要なものなのではと思います。(事実私もずっと悩んでいました。)

ほかにも漢の時代から三国時代・六朝時代の聞いた事もないような古典の名前が目白押しです。

衝撃だった卑唐という言葉

一番衝撃だったのは

「唐の時代の古典なんてやる価値なし」

というもの。

最初読んだ時「マジか…」と思いましたが、これには私も前々から思い当たるフシがありました。

唐の時代の楷書は確かに「法」としては優れていて初学者には向いているかもしれませんが、あまりに決まり過ぎていて厳しすぎて、習っていると字が狭くなり堅苦しくなるきらいがあると思うのです。

私は賞状書体という、いわゆる館閣体・院体・御家流とでもいうような「型にハマりすぎた書体」がどうにも嫌で、このために通っていた賞状学校は辞めてしまった経緯があります。

別な本に、

・晋人は「韻」を尚(たっと)ぶ。

・唐人は「法」を尚ぶ。

・宋人は「意」を尚ぶ。

という言葉があるのですが、唐時代の古典はたしかに「法(ルール)」を重視してもの凄く整理されて高められた感があります。

その時代の要請もあり、確かに分かり易く習いやすくて初心者の方がこの楷書から書の道に入っていくにのは一定の効果があるとは思いますが、中級者以上になってきたらとっととやめてしまった方が良いと私も思います。

この本は唐の古典なんてやる価値ないとまで言っていますが、その一つの理由としてはコピー劣化が激しすぎて綺麗な拓本が無いから、とも言っています。

なのでそんなものよりも唐より昔の古典をすべし、と言っています。

この「唐以前を習え」はいろんな本に書かれていますが、ひょっとしたらこの本が根底にあっての事なのかもしれません。さらにもう一つ、この元ネタになった本があるのです。

もう一つ元ネタになった本【芸舟双楫(げいしゅうそうしゅう)】

実はこの本の前段に

【芸舟双楫(げいしゅうそうしゅう)】

という本が著されているのです。(この本もネットで入手できたので現在注文中です。また紹介いたします。)

先の康有為(こうゆうい)という方が影響を多大に受けた

包世臣(ほうせいしん)

という方が著したものです。

「芸舟双楫」と「広芸舟双楫」

一体何がどう違うのかというと、基本的には同じなのですが「広」がついている分、間違いを指摘したりさらにそれを展開している内容ということのようです。

どちらの本にも

鄧石如(とうせきじょ)

という、清の時代を代表する書家を祖とすることが書かれています。

つまる所、日本では王羲之をベースにしよう、という流れがあります。(もちろん私もそうです。)

でもそこから発展させていき、王羲之が学んだものを学ばなければ書の真髄は得られない、というような事が書いてあるのです。

実際私の体験としても、王羲之「楽毅論」と石門銘を同時に臨書している時に、かなり似たような形(筆勢=筆の速さのことではない)があるなと思ったことがあります。

姿形は同じとは言えないまでも、根底にあるものが同じなのです。

王羲之が三国六朝の碑から書の真を得て、東洋の哲理を込め、その時代の書体を整理し、さらに皇帝の寵愛を受けた運要素すべてが兼ね揃ったからこそ、あそこまでの存在として今なお語り継がれているのだと思います。

私はこういった感じで三国六朝以前の碑をメインに習いながら、明清の法帖は参考程度(やっぱり章法はすごいので)にする程度にしてきていますが、その度合いをもっと強めますし、そうすべきと思います。

「習気」をなんとかして消したい

書道、特に習字を長いことやっていた私は習いグセともいえる「習気」がまだまだあります。

かの宋時代を代表する「米芾(べいふつ)」であってもそうなのだとか。

とてもテクニシャンで華麗な書きぶりなので多くの書道家がこぞって習っていますが、その彼にも習気があるということが別な本に書かれています。

やはりそれは唐と王羲之を中心として一家を成したからなのでは…と私は密かに思っています。

そんな大天才・米芾であってもそうなのだから、凡人の私はそう簡単に習気を消せないのでしょうが、それでも知ってやってみる価値はあると思っています。

その方法は単純に三国六朝以前の古典をひたすらに研究すること。

もう2,000年近い前の拓本のしかもコピーなので、習いにくいったらないのですが、それでもやる価値があると思っています。

もしここまでお読みいただいている書を志す方がいたら、三国六朝の碑をぜひやってみることを強くおススメします。

広芸舟双楫に書かれている事は、ある面ではとても穿った見方のような気もします。

同じ時代の当時はなかなか受け入れない勢力もいたのだろうと思います。

ですが、無視できる内容ではないですし、いろんな書論の中で一番充実していると感じました。

芸舟双楫に込められた意味

「芸舟双楫」も「広芸舟双楫」も、

芸術の「芸」に、小舟の「舟」、双子の「双」に舟を漕ぐオールのかいの事で「楫(しゅう)」の4文字でこの本の内容と表していると考えられます。

芸術を乗せた小舟を2本のオールで漕いでいく、

という意味と直訳できますが、この本の意味について、私が書道教室の生徒さんと話していた時にふと思ったのですが、

「なぜ小舟なのに二つもオールが必要なのか?」

ということ。

小さな舟なのだからオールは1本でこと足りそうなものなのに、なぜ2本なのか?

それはやはり「北碑」と「南帖」だったり「光」と「影」だったり、天と地、朝と夜、白と黒、男と女…

という本来性質の違うものが同居・内在してこそ真の芸術たりえるということを言いたかったのではないかと思ったのです。

事実、この本の後半に行くほど「方筆の中の円芾・円筆の中に方筆」という摩訶不思議な事を言っています。

私もなんとなく分かりかけてきていますが(実践できないですが)、おそらくこの事は書に限らない芸術の奥義はたまた宇宙の法則なのではと思うのです。

まとめ

そんなわけでこの本は、書を本気で極めたい方は必読の本と思います。

何より…一番の励みになるのは、この本に

「きちんと学び方を知って実践すれば、才能が無くても上手くなれる」

というような事が書いてあるのです。

これには私も大いに勇気付けられました。本当にそう思いますし、みんな自転車の乗り方を知らないだけだと思うのです。

この本もベースに私独自の書の学び方をいつか完成させたいという野望の励みになりました。

一度とならず何度も読むことを強くお薦めしたいです。私も何度も何度も読もうと思っています。

まったく聞いたことのない古典だらけですが、まずはその古典集めが始まります。

幸いにして今の時代は古本屋さんもネット注文できてとても充実していますから、書を極める研究をするにはとても恵まれた時代だと思います。

私はさらにこれに「仮名」の真を得て日本語を美しく書く書を追究していきますが、今後もこのブログで情報発信していきたいと思います。

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田畑明彦

田畑明彦

在野の書家。書壇からは距離を置いて独り書の道を追求しています。質屋大学書道科にて現在も勉強中。その成果を地道に発信していきます。

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